教会の優先課題:青少年司牧と高齢者への配慮 | ||
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戦後間もない1948年、時の東京教区長・土井大司教は下井草の地に教会建設を依頼され、サレジオ会に対し3000ドルを寄贈されました。そこでサレジオ会はマンテガッツア神父を主任司祭に任命し、新聖堂の建設に着手することにしました。戦後は育英学院付属の小さな聖堂を使用していた経緯もあって、翌1949年4月17日の復活祭には、東京教区第18番目の教会として認可されました。下井草教会は、この日をもって教会創立の日と定めています。
マンテガッツア神父が夢に抱いていた願いどおり、新聖堂は「扶助者聖母マリア」に捧げられ、神父は募金のために一路母国イタリアへと飛び立ちました。その建設資金の大部分は神父の働きとサレジオ会によるもので、7年余の歳月をかけて1956年10月21日、再び土井大司教をお迎えして新聖堂祝別式となって花開きました。
主日ごとに高い鐘楼から鳴り響く3個の鐘と、パイプオルガン、聖堂前の無原罪の聖母像、大理石の正面祭壇等はマンテガッツア神父の出身地カルダノの教会からの寄贈によるもので、1969年にはカルダノ教会との間に姉妹教会としての締結がなされています。マンテガッツア神父の主任司祭としての任期は通算34年にも及び、創立当初72名だった信者は今や2300人を数えるに至りました。最近の主日のミサの参加者は平均600人を越えています。
マンテガッツア神父は、1989年第一線を退かれ、その後の歴代主任司祭はロカーティ神父、シモンチェリ神父、尻枝毅神父、コンプリ神父、マッサ神父、そして西本裕二神父へと引き継がれ、ドンボスコの教えは今も大切にされています。
1971年にはヨゼフ会が中心となって、共助組合が設立され、日本共助組合連合会に参加しました。以後非営利の生活支援型小口金融機関として、教会信徒の需要に応え、2001年にはカトリック司教協議会の公認活動団体として承認され、現在も活動しています。
1978年にはシモンチェリ神父のもとに、ボーイスカウト東京杉並第11団が誕生しました。1997年12月には、府中墓地に長年待望の教会共同墓地が完成しています。
1988年、聖ヨハネ・ボスコ帰天100周年に当たって、故教皇ヨハネ・パウロ2世はドンボスコゆかりの地トリノ大聖堂に巡礼されましたが、下井草教会はこの「恵みの年」に全免償をいただく指定巡礼教会として、世界8教会の中の1つに選ばれました。
1999年5月30日には下井草教会創立50周年の記念ミサ・祝賀会が故白柳枢機卿臨席のもと執り行われ、各地から旧信徒が大勢集まりました。大聖年を目前に教会は、「信徒使徒職に関する教令」に従って、教会委員会の下に小委員会を設け、大勢の信徒が参加できるよう、その門戸を開き、現在奉仕活動は 3 0部門を越える勢いで活動しています。
2 001年には、教区から「新しい一歩」が発表されたのを受けて、11人の委員を選出。「新しい一歩委員会」が設置され、2003年には関町、徳田教会と共に、豊多摩南宣教協力体として発足しました。3教会は現在福音的指命を果たすための協働作業に取り組んでいます。
2006年には献堂50周年の年を迎え、聖堂建設からの50年を振り返り、次の50年への「次世代につなぐ架け橋」の年として、次の新しい一歩を踏み出し、広報委員会はHPを立ち上げ、宣教を視野に入れた活動を始めています。
教皇ベネディクト16世は、第二ヴァチカン公会議開催50周年と「カトリック教会のカテキズム」発布20周年を記念し、2012年10月11日から翌年2013年11月24日までを「信仰年」とする宣言をされました。全世界のカトリック信徒が、今一度自分の信仰の歩みを振り返り、自分の信仰を確かめるための大切な時を迎えたことになります。
教会は西本神父のもとに「信仰年」を迎え、11月18日には「信仰年を迎えて」を主題に宣教協力体が中心となって、宣教フォーラムを開催。同時に教会は聖ドンボスコの生誕200周年を目前に、若者が集う教会を目指し、4年計画で、聖堂とドンボスコ会館(司祭館)の改修工事に取り組んでいます。
葡萄と麦のオブジェの入った正門 サレジオ会創設者 聖ドン・ボスコ
.ステンドグラス
カトリック下井草教会の聖堂内に飾られたステンドグラスは ![]()
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聖堂内はどなたでも、ご自由にご覧いただけます。 |